世界の深層には、複雑な原理ではなく、
ただひとつの静かな流れが存在しています。
Oris哲学は、その流れを「愛」と呼び、
すべての生命を内側から動かす根源のエネルギーとして捉えます。
ここでは、この“愛の流れ”がどのように世界を形づくり、
どのように私たちの意識に影響しているのかを
静かに整えていきます。
愛は感情ではなく、「細胞から発する生命エネルギー」
愛は「好き」「嬉しい」といった感情ではなく、
すべての生命を内側から動かしているエネルギーのことを指します。
細胞のひとつひとつは、
創造主の光の粒のようなエネルギーを受け取り、
その光を動力源として振動しています。
その振動そのものが「愛の流れ」です。
人が愛を感じていても、感じていなくても、
このエネルギーは常に流れ続けています。
世界は、その愛の流れの状態を映し出している場にすぎません。
「愛がない」と感じるのは、愛が消えたからではない
「愛がなくなった」「何も感じられない」と思うとき、
多くの場合、それは愛が消えたのではなく、
愛の流れがフィルターによって遮断されている状態です。
怒り、恐れ、比較、劣等感、自己否定…。
こうした観念や思い込みが層のように重なると、
細胞からあふれているはずの愛のエネルギーが
心まで届きにくくなります。
そのとき人は「愛がない」と感じます。
けれど、実際には愛はそこに在り続け、
ただ知覚が曇っているだけです。
フィルターと「生命エネルギーの鈍化」
愛の流れが遮られると、
まず生命力が落ちていきます。
からだの疲れやすさ、
心の重さ、無気力、慢性的な不安。
これらは「愛が足りない」のではなく、
愛の流れが鈍くなっているサインです。
フィルターが増えるほど、
本来まっすぐに流れていたエネルギーが渦を巻き、滞留し、
やがて心身の不調として現れてきます。
癒しとは「愛を増やすこと」ではなく、「遮る構造を外すこと」
この哲学において、癒しとは
新しく何かを手に入れることではありません。
癒しとは、すでに細胞の中で流れている愛のエネルギーを
もう一度そのまま感じられるようにするプロセスです。
怒りや恐れのフィルターに気づき、
それを少しずつ手放していくこと。
社会的な「こうあるべき」という外側のプログラムから離れ、
内側の静けさに戻っていくこと。
祈りや静かな呼吸、
丁寧な暮らしの所作は、
愛を呼び寄せる儀式ではなく、
すでにある愛の流れを思い出すための姿勢です。
世界は「愛の流動構造」として存在している
Orisは、世界を次のような構造として見ています。
- 細胞から発する愛のエネルギー(創造主の光)
- それが全身と場を巡る生命エネルギーの流れ
- 感情として現れる揺らぎや滞りのサイン
- 意識による気づきと意味づけ
- そして行動や現実としてのあらわれ
すべては、ひとつの愛の流れが
どこでスムーズに通り、どこで滞っているかを
見せているにすぎません。
愛は流れているとき澄み、
止まると曇り、
再び流れ出すと、また光を取り戻します。
まとめ
この哲学において、世界とは
「愛のエネルギーが流れている状態そのもの」です。
愛は外からもらうものでも、
どこかに探しに行くものでもありません。
細胞の奥深くで、
すでに静かに流れ続けているもの。
それを思い出し、
遮っているフィルターをそっと外していくこと。
それが、愛の流動原理にもとづく
癒しと祈りのあり方です。
